論文等

中晩唐の中国陶磁

著者: 今井 敦(東京国立博物館)

出版者: 東京国立博物館

掲載誌,書籍: 東京国立博物館紀要 第31号

1996年 3月 29日 公開

関連研究員(当館): 今井 敦 

データ更新日2022-06-20

唐時代後半は中国陶磁史上の大きな転換期の一つとされ、宋磁の繁栄の基盤が築かれた時代として重要な意味をもっている。しかしながら、この時期に何があらわれ何が消滅していったのかという具体的な点については、資料の不足もあって十分に論じられていたとはいえない。近年考古学的な発掘調査、とくに窯址についてのそれが目覚しく進展したことにより、この時期の陶磁史の動向を考えるための資料は次第に増加している。筆者はこれまでに知られている中晩唐代の各地の窯址の発掘調査、および紀年資料や紀年墓の出土品を集成し、これに基いて中晩唐代の中国陶磁の動向は以下の三点にまとめることができると考えた。
1.これまでもしばしば指摘されている通り、中晩唐代には中国各地に新たに窯が開かれ、宋時代に活動する主要な窯の多くがこの時期に創建されている。中国南部では、粗製の青磁を焼造する窯が数多く興り、中国北部では主に粗質の白磁を焼く窯として生産を開始している。これらの窯は、五代、北宋を通して作風が洗練されてゆき、それぞれ別個の個性を具えた宋磁として完成されてゆくのである。また、本格的な陶磁貿易が開始されたのも中晩唐代のことであった。この時期に輸出された陶磁器は「初期貿易陶磁器」とよばれ、越州窯系の青磁のほか、白磁、長沙窯の黄釉磁がある。さらに近年広東地方の窯で輸出向けの粗製の青磁が大量に生産されていたことが知られるようになった。
2. 中晩唐代の間に、邢州窯において白磁が、越州窯において青磁が、宋磁に直接連なる新しい美しさを具えた磁器として完成されていった。その特徴は、釉と胎が一体となった滑らかな質感、澄んだ美しい釉色、そして実用に根差しながらも変化に富む洗練された器形である。その一方で、南北朝時代より黄褐色の磁器を量産していた洪州窯、寿州窯、岳州窯などの窯場は唐時代末までに急速に衰退し、製品と窯場の新旧交替が起きている。
3.白化粧地に、褐斑や鉄絵文様をあらわし、黄釉を施した製品は湖南省、四川省の諸窯で焼造されている。また、青磁や乳濁釉磁に褐斑文をあらわした磁器が浙江省の婺州窯で作られている。この種の装飾は古越磁の褐斑装飾の末裔であるとともに、唐三彩で発達した釉薬の重ねがけの手法が応用されたものと考えられる。黒褐釉の上に白濁釉を振り掛けた花釉磁器もまた、同類の技法とみることができよう。これらは直接宋代に継承されてゆくことはなかったが、中晩唐代の陶磁史の一つの潮流であったと考えられる。作風からは自由でのびのびとした気分が感じられ、中晩唐代の陶工たちが陶磁器の表現のさまざまな可能性を試みていたさまがうかがわれる。この種の陶磁器は、越州窯の青磁、あるいは邢州窯や定窯の白磁といった新しいタイプの磁器が圧倒的な優勢を不動のものにすると急速に衰退していったが、その中でひとり湖南省の長沙窯は、貿易陶磁器の焼造という新しい舞台において、短い期間華麗な花を咲かせたのである。