口頭発表

長沙窯磁について

学会,機関: 東洋陶磁学会平成8年度第12回研究会

発表者: 今井 敦(東京国立博物館)

1997年 2月 8日 発表

関連研究員(当館): 今井 敦 

データ更新日2021-12-09

長沙窯は貿易陶磁研究の進展とともに注目されるようになった窯場の一つであり、その製品は唐時代の陶磁器の中にあってきわめて個性豊かな様式をそなえている。長沙窯磁の独特の作風は、その分布の様相、すなわち揚州や明州などの国際貿易港や国外において発見例が多い事実とともに、長沙窯磁の「貿易陶磁的性格」を物語る例証として説明されることが多かった。
長沙窯磁の中国国内における出土例は比較的少ないといわれてきたが、紀年墓からの出土例の報告は80年代以降かなり増加しており、これに紀年銘資料を加えて、製作年代を推定できる長沙窯磁の資料は8世紀後半から10世紀初頭にかけて20例以上知られている。これによって長沙窯の作風の変遷をみてみると、褐斑や釉下彩によって装飾が施された典型的な長沙窯磁の様式は9世紀の初頭に完成し、9世紀の中葉までがその盛期と考えられる。
長沙窯磁の特色ある様式を構成する要素を分析してみると、明るい黄色に発色した釉薬は、白化粧と酸化焔焼成によるものであり、南北朝時代以来の青磁系の諸窯の動向の延長上にある。褐斑装飾は器の一部を褐釉に浸すことによって施されており、釉薬の用いかたや装飾効果という点からみると釉薬の重ねがけの応用ということができる。異国的な意匠を貼花文であらわす装飾法もまた、北朝から隋・唐代にかけて盛んに行われた手法である。このように長沙窯は旧来の要素を色濃く継承しており、これを量産と輸出に向けた点に意義がある。このような長沙窯磁の作風は決して孤立していたわけではなく、浙江省の★州窯や四川省の諸窯など、黄釉に褐斑や釉下彩を加えた製品を焼いた窯は各地に発見されてきている。これらは唐代の磁器の一つの潮流を形づくっていたといえるのではないだろうか。
越州窯青磁や★州窯白磁の動向を併せてみると、中・晩唐は新旧交代期ととらえることができる。滑らかな質感、美しい釉色を完成し、簡素で洗練された美しさをそなえた新しいタイプの磁器である青磁、白磁の優勢が決定的になると、黄釉磁は時代に取り残され姿を消して行く。長沙窯磁は「初期貿易陶磁器」として青磁・白磁とともに時代の先頭を走っていたようにみえるが、それはたとえていえばトラック競技において周回遅れのランナーが見かけ上あたかも先頭集団にいるかのような現象ではないだろうか。