論文等

中国陶磁の意匠にみられる意味と造形の連環をめぐって

著者: 今井 敦(東京国立博物館)

出版者: 東京国立博物館

掲載誌,書籍: 『吉祥―中国美術にこめられた意味』展覧会図録

1998年 10月 公開

関連研究員(当館): 今井 敦 

データ更新日2021-12-16

一、 清時代の磁器の吉祥文様



清時代の工芸品をみたとき、ある種の「親しみにくさ」を感じることがしばしばある。技術的な完成度の高さや独特の気品に由来する面もあるが、日本人と中国人の美意識の相違だけに起因しているとは思われない。清時代の工芸品の意匠はいささか謎めいてみえる。№237は濃い藍色の地に色鮮やかな粉彩の絵具を用い、繊細な筆づかいでたわわに実をつけた桃樹、その周囲を舞う蝙蝠(コウモリ)、そして桃の幹から伸びる霊芝(キノコの一種)が描かれている。清時代独特の優美な色彩感覚がみられ、洗練された完成度の高い意匠に仕上げられてものの、そこにあらわされている題材は、景物の描写にしては突飛な感が否めない。
野崎誠近氏が昭和三年(一九二八)に著した『吉祥図案解題』は、当時民間で行なわれていた吉祥図案を集成し、これに解説を加えたものであるが、宮廷向けの工芸品を含め、清時代の工芸意匠に隠された吉祥の寓意を読み解く鍵となる事例が数多く収録されている。№237にあらわされた文様も吉祥図案として解釈することができるのである。
桃は西王母の蟠桃が三千年に一度実を結び、これを食すると寿命が延びるという伝説によって長命を寓意し、「寿」をあらわしている。五匹の蝙蝠は、蝠の発音が福に通じることから、五経の一つの『書経』にある「五福」、すなわち「寿(長生)、富、康寧(健康)、攸好徳(徳を修める)、考終命(天命を全うする)」の五つの理想的な幸福を象徴している。霊芝は仁徳をそなえた王があらわれると生じ、長寿の薬効があるとされる瑞草であるが、ここでは形の類似から、僧侶がもつ道具の一つである如意をあらわしている。全体で「福寿如意」、すなわち幸福も長寿も思いのままになるという意味になる。
同様に、№247には「福在眼前(福は眼前にあり)」の寓意が隠されている。正面中央の七宝文は中国では古銭をあらわす。銭の中央の四角い穴を「眼」といい、銭の発音が前と同じであることから、銭の文様は眼前を意味する。その上方には福の象徴である蝙蝠があらわされている。両者を組み合わせることによって「福在眼前」、すなわち間もなく福が訪れるという意味をあらわしている。また、№236の瓶は、左右の大きな耳が如意をかたどっており(側面からみるとわかる)、瓶と平の音通によって、「平安如意」の寓意が盛り込まれている。
№246は一見したところ静物画風であり、その精緻で写実的な描写に西洋画の影響を指摘する見解もあるが、やはり中国の伝統的な吉祥図案として解釈することが可能である。左上に描かれている赤いものは、金彩の線で稜が立っているように表現されており、百合根(百合の球根)と思われる。右下の柿は事と発音が同じであり、橘は吉に発音が通じる。百合の百と合わせることによって「百事大吉」、すなわち何事もうまくゆくという意味をあらわしている。その他の野菜や果物も、蔓で増えつぎつぎと実をつける子孫繁栄の象徴である。この図に託された吉祥の意味は、裏面の文様をみることによって一層確かなものになる。全面を赤い上絵具で塗りつめ、氷竹文(竹を不規則に網目状にめぐらせた文様)の上に梅花文が金彩であらわされている。竹と梅の組み合わせは中国では夫婦を寓意するので、婚礼の場にふさわしい吉祥の意匠であることがわかる。
清時代の工芸品の吉祥図案は、モチーフがもつ象徴的な意味を平明に伝える段階を超えて、さまざまな器形や景物を表現した文様の姿を借り、そこに過剰なまでに吉祥の意味を盛り込む方向に発達していった。それは、ほとんど「判じ物」といってもよく、ある意味で迂遠な方式である。それが中国人にとって洗練された知的遊戯であったとしても、外国人であるわれわれ日本人は、意匠家が伝えようとしたメッセージをほとんど受け止めることができない。主題と造形との関係が見えにくいことが、作品との距離を大きくしているといえるのではないだろうか。
また、別の見方をすれば、題材や構図、ときには色彩までもが「意味」によって拘束され、工人たちにとっては造形の上に創意工夫を発揮する場はわずかしか残されていないということでもある。№231は福を象徴する蝙蝠(蝠と福の音通による)と、寿を寓意する桃によって「多福多寿」をあらわした皿であり、表裏の図柄を連続させる構図の意外性に新機軸が発揮されている。すなわち、桃の幹は高台脇から立ち上がって表へと続き、五つの理想的な幸福を象徴する五匹の蝙蝠のうち二匹は裏面に描かれている。康煕・雍正・乾隆三代の最盛期を過ぎ、清時代後期になると、工芸品の意匠には閉塞感、鬱屈した気分が漂い始めるが、その一因は、寓意文様が極端なまでに発達した結果、造形が「意味」によって雁字搦めにされてしまっていることにあると思われる。



二、 宋・金時代の磁州窯の吉祥文様



このような吉祥図案は、元時代以降、とくに明・清時代に大きな発展を遂げたことがこれまでしばしば指摘されている。それでは、これに先立つ宋・金時代の器物にあらわされている文様は、吉祥図案とは性格が異なるものなのであろうか。
華北地方一帯で、民衆の日用に供する器物を焼いていた民窯を、代表的な窯場の名をとって磁州窯と総称している。北宋・金時代の磁州窯では、掻落し、鉄絵などの技法による文様装飾が発達し、同時代の中国陶磁の中では、きわめて豊かな文様世界が展開されている。
今世紀の初頭、河北省南部の鉅鹿で遺跡が発見された。これは北宋末の大観二年(一一〇八)の秋、★河の氾濫によって一挙に泥の下に埋もれてしまった町の遺跡であり、当時の人々の生活がそのままに残されていた。この鉅鹿の遺跡からは磁州窯の製品をはじめとする陶磁器が数多く出土し、このうち墨書で文字を記した器物について報告がまとめられている。それによると、陶枕に「崇寧二年(一一〇三)新婿」、あるは「長命枕」といった文字が記された例がある。残念ながらこれらの枕には文様があらわされていないが、当時の陶枕の使われ方の一端をうかがい知ることができ、結婚に際して枕が用意されたり、枕に長生の願いが託されたりしたことがわかる。
さて、宋・金時代の磁州窯の文様をみる前に、婚礼の祝いために用意された、あるいは長寿の願いが込めらていることが明らかな、明時代の吉祥図案の例にあたってみることにしたい。図104は明時代中期に景徳鎮民窯で焼かれた青花磁器である。口縁部に「金玉満堂長命富貴」の吉祥句があらわされており、祝賀の場にふさわしい皿である。中央にはつがいの鶴が描かれている。鶴は「鶴寿千歳」といわれる長寿の仙禽であり、つがいの鶴の図は、「偕老」、すなわち夫婦ともに長く年月を重ね、ともに年老いることをあらわす寓意文様である。周囲に描かれた松、寿石、霊芝なども不老長生の象徴である。また、図105はやはり明時代に景徳鎮民窯で焼かれた五彩磁器であり、わが国でいう金襴手である。外側の六方に赤い丸文を置き、その中につがいの鶴と鹿が交互にあらわされている。中国では鹿もまた代表的な長寿の仙獣であり、「鹿寿千歳」といわれる。ここではつがいの鹿も鶴と同様に、夫婦ともに長く過ごし、ともに年老いる願いをあらわしているものとみられる。鉢の内底には、冬に枯れないことから不老長生の象徴である松が描かれており、幹が「壽」の字をかたどっているので、この鉢が慶祝の目的で作られたことは明らかである。
雌雄の鹿が寄り添う図に「偕老」の願いが込められているのだとすれば、つがいの鹿があらわされた北宋時代の磁州窯の枕(№106)から同様の寓意を読み取るのは、決して無理なことではないだろう。磁州窯の文様には、このようなモチーフ自体がもつ象徴的な意味に由来する吉祥文様ばかりではなく、「諧音」、すなわち発音の共通性にもとづく一種の「語呂合わせ」によって、吉祥の意味をあらわしていると解釈できる例も少なくないのである。たとえば、№49はわが国で俗にいう宋赤絵の碗で、釉上彩の技法で蓮の花と一尾の魚があらわされている。蓮の上に魚を重ねて描いているのは、両者の組み合わせに意味があるためと思われる。中国語で蓮は連と、魚は余と発音が同じなので、蓮と魚の図は「連年有余」、すなわち毎年余裕があることを寓意する吉祥図案である。また、№243はやや時代が下る元時代の例であるが、子供が蓮を持つ図は、やはり蓮と連の音通から、子供がつぎつぎ生まれる「連生貴子」を意味する。さらに、№206の三彩の枕にあらわされている一羽の鷺と蓮の図は、かつて中国で行なわれていた科挙とよばれる官吏登用試験に及第することを寓意する吉祥図案である。科挙には地方で行なう郷試、尚書省の礼部で行なう省試、天子みずからが行なう殿試などの多くの段階があり、これに連続して及第することによって立身出世の道が開かれた。蓮の実を意味する蓮顆は、蓮と連、顆と科の同じであることから「連科」に通じ、科挙の試験に連続して合格することを寓意する。この枕には、一羽の鷺(路と発音が同じ)と、花弁が散り実があらわになった蓮があらわされていることから、明らかに「一路連科」の願いがこめられた図であると理解できる。
このような形で「意味」を担うのは文様ばかりでなく、器形もまた「意味」をあらわすことがある。如意はもともと僧侶が持つ道具の一つであり、意の如く思うままになるというその名によって喜ばれた。№233、234、235のような玉製の如意、あるいは堆朱や七宝で華やかな装飾が施された如意は、一種の縁起物として慶事の贈答用に用いられた。如意は吉祥図案にも多用され、瓶(平と発音が同じ)と組み合わせて「平安如意」、あるいは鯰(年と発音が同じ)と組み合わせて「年年如意」をあらわしたりする。二匹の鯰が泳ぐ姿を描いた枕(№238)は、全体の形が如意をかたどっていることから、文様と器形とを合わせて読むことにより、「年年如意」を寓意する吉祥の枕と解釈することができるのである。磁州窯では北宋時代末から金時代にかけてこのような如意形の枕がさかんに製作される。これらが実用に供されていたことはほぼ間違いないものの、陶枕としてはあまりにも特殊な形式である。意の如く、思うままに、夢を叶える枕の意匠と考えることによって、如意をかたどった陶枕の流行が容易に理解できるのである。
もしそうだとすると、如意形の枕にはさまざまな願望が託されているということになる。この形式の枕には白地黒掻落しの技法で印象的な文様があらわされた優品が多い。№124にあらわされている牡丹は富貴の象徴である。№248の喜鵲(かささぎ)は喜びごとの到来を告げ知られる瑞鳥と信じられている。サンフランシスコ・アジア美術館所蔵の陶枕には鹿と霊芝雲(キノコの一種である霊芝の形の雲)があらわされている。鹿は長寿の仙獣、霊芝は長生の薬効があるとされることから、長寿を寓意する図である。台北・鴻禧美術館の蔵品にあらわされている猫と蝶の図は、「猫」「蝶」の発音が非常な長寿を意味する「耄耋」に通じることから、やはり長寿を意味している。大英博物館には縄で杭に繋がれた一頭の熊が棍棒をついて直立する姿をあらわした有名な陶枕がある。この謎めいた図は、縄を意味する「纓」と「英」、「熊」と「雄」の音通、そして熊が立っていることを合わせて「読む」ことによって、「英雄独立」を寓意する図と解釈できる。このように、如意形の枕にあらわされたさまざまな文様からは、それぞれ願望を読み取ることが可能である。
宋・金時代の磁州窯にみられる文様のかなりの部分は、現代にも通じる吉祥図案として解釈が可能であり、しかもかなり発達した、洗練された寓意文様も数多くみられることをここで指摘しておきたい。これがきわめて成熟した市民文化の産物であることはあらためていうまでもない。また、宋時代には自由でのびのびとした絵画風の文様表現が生み出されるが、その成立と発展には、写生的な表現を志向する宋代絵画の動向との関連が想定されるとともに、実在の動植物に吉祥の意味を見出し、これを積極的に文様に取り込もうとする姿勢が大きな要因となっていたように思われる。



三、 元・明時代の青花磁器の吉祥文様



蓮の花、蓮の葉を中心に、蓮の蕾、蓮の実、それに慈姑、蓼など数種類の草花をリボンで束ねた図を束蓮文と称している。№19のように明時代初期の青花磁器に好んで描かれているほか、金時代の磁州窯(№18)、あるいは清時代の官窯磁器(№20)にもみられ、宋時代から清時代まで、官窯・民窯をとわず、広く用いられた文様であることがわかる。
英国のデヴィッド財団コレクションには、束蓮文が印花の技法であらわされた一件の興味深い耀州窯青磁の碗が収蔵されている。蓮の花、蓮の葉、慈姑の葉のほかに、牡丹の花を加えた束蓮文が三つ、見込みの三方に配され、それぞれの蓮花の上に「三」「把」「蓮」の文字が置かれている。「三把蓮」の字義は、蓮の花束三つに他ならないが、わざわざ文字が添えられているからには相応の理由が考えられる。また、№20の束蓮文に描かれているのは通常の蓮の花ではない。一つの茎からそれぞれ二つの花が咲く「並蔕同心」であり、夫婦の和合の象徴である。蓮の花で花束を作ることは実際に行なわれていたかもしれないが、それほど一般的であったとは思われない。束蓮文が繰り返し描かれ続けたのに対して、蓮以外の花の花束が文様としてあらわされた例はほとんどない。これらを考え合わせると、束蓮文は何か特別な意味をあらわす文様ではないかと思われる。
束蓮文にはしばしば花弁が落ちたあとの蓮の実が加えられている。蓮の発音は連と同じであり、中国語で蓮の実を意味する蓮子は連子、すなわち子供がつぎつぎ生まれることに通じる。また、蓮は花が咲くと同時に実ができる「華実斉生」の性質があることから、早く子供が生まれることの喩えとされる。束蓮文にしばしばあらわされる沢瀉に似た三つ又形の葉は、中国では慈姑の葉と解されている(沢瀉と慈姑は非常に近い類縁関係にある)。慈姑はその球茎を食用にし、「慈姑の根は歳に十二子を生む」といわれることから、おそらく多子多産の象徴と思われる。現代の日本でも、正月に慈姑を煮て食する習慣が残っているのは、多子多産を寓意する慈姑の吉祥の意味と関係があるのかもしれない。また、わが国で俗に「あかまんま」とよばれるイヌタデのような花も、小さな粒状の花がたくさんつくことから多子を連想させる。№17は印花で束蓮文があらわされた耀州窯青磁の碗である。製作年代は北宋時代末から金時代と考えられ、陶磁器にあらわされた束蓮文としては早い例である。蓮の蕾、蓮の花、蓮の実、蓮の葉、そして慈姑の葉をリボンで束ねた典型的な束蓮文に、四人の童子がぶらさがって遊んでいる。これは束蓮文が多子を寓意する吉祥文様であることの一つの例証となろう。
慈姑の葉が多子多産を寓意するのは、その根を連想するからであり、蓮の場合もレンコンの存在を想起すべきであろう。蓮は泥の中に太いレンコン張って増え、花や葉が次々に生い茂る性質がある。このため、蓮池の図は「本固枝栄」、すなわち発展や繁栄を寓意する吉祥図案として喜ばれる。そればかりでなく、レンコンをあらわす「藕」の発音は、つれあいを意味する「★」に通じる。蓮を意味する「荷」の発音は「何」と同じであることから、「因荷得藕」(蓮からレンコンを得る)は、「因何得★」(縁あってつれあいと結ばれる)に通じる。したがって、蓮は子孫繁栄ばかりでなく、良縁を祝福する意味をもっていると考えられる。鴛鴦はつがいがいつも離れないことから、男女の深い愛情と幸福な結婚の象徴であるが、多くの場合蓮とともにあらわされる。蓮池に遊ぶ姿(№24、25、26)ばかりでなく、唐三彩の枕(№22)では向かい合った鴛鴦がそれぞれ蓮の花に乗っている。蓮の花に乗る鴛鴦の図は、法隆寺献納宝物や正倉院宝物の中にも散見され、鴛鴦と蓮との間に深い結びつきがあることがうかがわれる。
さて、束蓮文を構成する植物はいずれも水辺の草花である。したがって、吉祥の意味をあらわすのに必ずしも花束にする必要はなく、これらの草花が群生する図でも、同様の寓意を表現できるはずである。実際に、蓮や慈姑、蓼などが画面いっぱいに群生する蓮池の図は、元時代の青花磁器(№14)、明時代の堆朱(№15)、清時代の五彩磁器(№16)など、時代や材質、技法を超えて好んであらわされている。№12の定窯白磁、№13の耀州窯青磁の文様は、円形の画面に調和するように唐草文様風に処理されているが、慈姑の葉がみられることから、やはり蓮池を意匠化した図と考えられる。蓮池の文様が喜ばれたのは、そこに束蓮文と同様の吉祥の意味が込められていたからであろう。器物にあらわされた蓮池文ばかりでなく、蓮池を題材とした絵画作品(№30、31、32、33など)が数多く制作された動機やこれらが受容された背景を考えるとき、蓮池の図が寓意する吉祥の意味を無視することは出来ない。
元時代後期に景徳鎮窯において青花の技術が確立し、中国陶磁史は本格的な絵付け磁器の時代に入る。蓮池図や蓮池水禽図、魚藻図(№46)など、元時代の青花磁器に描かれた文様の題材と、その当時江南地方の職人画工が描いていた絵画の画題には共通点が多く、元の青花磁器との影響関係はつとに指摘されているところである。しかし、画題の背後に隠された吉祥の意味に着目したとき、それは影響関係というよりも、むしろ、晴れの場に飾られる絵画やそこで用いられる器物に同じように好ましい意味をもつ題材が求められ、それゆえ同じモチーフが選択されたととらえるべきではないだろうか。元の青花磁器に描かれている文様の多くは、宋時代の青磁、白磁、磁州窯などにもみられる伝統的な吉祥図案であり、物語の場面をあらわした図などを除いて、元青花で初めて工芸品の意匠として取り上げられた題材はむしろ少ないといえる。
元の青花磁器に描かれた蓮池の図(№14)では、蓮や慈姑が群生するさまを斜め上から見た図が、円形の画面に規則的に配されている。その特徴は、あたかも子供の絵をみるようなプリミティブな表現にある。これに対し、明時代初期の束蓮文(№19)は円形の皿に収まりよく配され、筆の運びがリズミカルで周囲の唐草文や波涛文とよく呼応し、全体の調和を重視した様式になっている。元の青花磁器で子孫繁栄の寓意をこめた吉祥図案としてあらわされていた蓮池の図は、より器形と調和した意匠が追求される過程で、束蓮文に置き換えられたのではないだろうか。つまり、リボンで束ねるという視覚的な表現によって草花の組み合わせを示す束蓮文は、元来蓮池文と同等の吉祥の寓意をあらわすために工夫された吉祥図案と考えられるのである。耀州窯や磁州窯の束蓮文も、おそらく同様な経緯で採用されたものと思われる。
同じような「意味」の保持と様式の展開は瓜の図についてもみることができる。蔓が長くのび、たくさんの実をつける瓜は、世代の連続と多子を象徴する。子子孫孫の繁栄を祝する「瓜★綿綿(★は小さい瓜のこと)」の句は、古く『詩経』に由来している。№138は明時代初期の青花磁器であるが、地面から一本の瓜の蔓が立ち上がり、次々と空中に大きな実をつけている図は、自然の景物の表現としてはいささか無理があり、「瓜★綿綿」の吉祥の意味を表現しようとしたものと理解される。瓜の図はこれに先立つ元時代の青花磁器にも好んで描かれており、№137では芭蕉や寿石などとともに、長く伸びた瓜の蔓に次々と実がなるさまが描かれている。余白を残さず、隙間なくびっしりと描きつめるのは、ときに「空間恐怖」ともいわれる元青花独特の文様構成法であり、それゆえ吉祥の意味は伝わりにくい。これと比較すると、明時代初期の№138では、吉祥の意味を一層強調しながら、大皿という円形の画面に調和した構図、より洗練された様式への工夫がみてとれる。さらに、官窯磁器の様式が洗練の頂点に達した成化年間(1465~87年)になると、この方向は一層推し進められている。№139は成化官窯の青花磁器の典型作である。ゆったりとした丸みをもち、口縁がわずかに外反した気品のある碗形は、欧米では「パレス・ボウル」の名で珍重されている。外側の三方に繊細な筆づかいで描かれた瓜文は、美しい器形と良く調和し、高貴な趣がある。瓜が蔓に実をつけたこの文様の主題は、やはり「瓜★綿綿」と思われる。すでに地面は描かれなくなっているが、蔓の端を唐草文風に処理することによって、綿綿と続くさまを巧みに暗示している。
以上にみてきた蓮池文から束蓮文への展開、あるいは「瓜★綿綿」の文様の変遷は、好ましい吉祥の意味をもった題材をあらわすことから、一段階飛躍して、より全体の調和を重視した造形を志向し、視覚的な表現によって吉祥の意味を補強する方向性としてとらえることができる。そして、この「造形全体の調和の優位」、および「視覚的表現を利用した意味の伝達」は、明時代初期の官窯(宮廷御用の製品を焼造する窯)において、民窯とは一線を画す官窯独自の様式が成立するにあたり、重要な因子として働いていると考えられるのである。永楽様式とよばれる明時代初期の青花磁器には、牡丹、蓮、菊、山茶花といった春夏秋冬の花を繋いだ唐草文がしばしば描かれている(№19、50)。これは四時花が絶えないことをあらわす寓意文様と考えられ、永楽様式の特色を端的に物語っている。



おわりに



文様や器形にこめられた意味を知り、意匠に託されたメッセージを読み取ることは、工芸品が使われた場や、製作の意図を明らかにするために欠かせない作業である。また、造形や表現を理解し、様式の展開を考える上でも、重要な視点になると思われる。なぜなら、製作の場における工人たちの最大の関心や課題は、あらわされるべき好ましい意味、それを担うモチーフをどのように造形化するかという点にあったはずだからである。