解題
文化12年(1815)から14年にかけて、対馬藩から幕府へ出願した際の記録。3冊ある。
各冊の内容と、表紙に「表御諸札方」と書かれていることから、対馬藩の江戸藩邸で作成された記録の一部であることが分かる。
QB1248-1
全90丁の和装本。表紙には「朝鮮国飢饉ニ付米五万石買取度段、従礼曹参議以書簡懇請在之候付、公義江御拝借御願書被差出候記録」とある。
飢饉に見舞われた朝鮮国から米5万石を買い付けたいとの依頼を受けた対馬藩が、幕府に対して米の支給を出願した際の記録。文化12年3月から同年8月のことが記載されている。
巻末には朝鮮国への船賃の見積もりも記してあるが、実際に朝鮮国へ米が送られたかは、この記録からは分からない。
また、朝鮮国の倭館からの飢饉に関する詳細な報告も記載されている。
QB1248-2
全47丁の和装本。表紙には「訳官入料御願記録 丁丑四月三日御金二千両御手当被仰出」とある。
徳川家慶子竹千代死去に対する弔問の朝鮮国からの使者(訳官)を応接するための費用を援助してほしいと幕府に出願した記録。文化13年12月から同14年4月のことが記載されている。この出願により、対馬藩には2千両の手当てが支給されたことが分かる。
QB1248-3
全130丁の和装本。表紙には「朝鮮国凶年以来入送米相滞御難渋之事情依御願御米壱万石御拝領記録」とある。
対馬は朝鮮国から米を買っていたが飢饉のため米を買うことができなくなり、幕府に援助米を出願し受け取った時の記録。文化13年5月から同14年3月のことが記載されている。
巻末には、延享3年(1746)以降の幕府からの援助の記録や、今回の出願に際して尽力した幕府役人への御礼の目録も収録してある。
なお『徳川実紀』によれば、対馬藩は文化12年7月にも幕府より1万石を拝領している。