科学研究費補助金 成果報告のページです。研究計画・成果をご紹介いたします。

東京国立博物館 ○神庭信幸、和田浩、荒木臣紀、土屋裕子、大場詩野子、佐藤香子

1.包括的保存システムとは

 従来から、文化財の安全を高度な判断と技術で守るための個別的な研究は存在していたが、保存と公開が博物館の使命であることを前提としてたものは極めて少ない。つまり、基礎研究や個別的対処法に関する研究は数多く存在するものの、それらを統合し、総合的かつ合理的な判断に立った具体的方法論が示されないまま、博物館は文化財の恒久的な保存と持続的な公開の両立を目指さねばならなかった。
 我々の目標は、文化財を脅かすあらゆるリスクを予測し、リスクを回避するための対策を事前に講じることによって、高い安全性に裏付けられた活動を実践することができるように、博物館を質的に転換することである。保存と公開を適切なバランスで運用し、全体を見通した保全に当たることを文化財の包括的保存と言い、本研究で構築を目指す包括的保存システムとはその具体的な方法論である。

図1 博物館での実活動と支援システムの関わり

2.昨年度までの進行状況と主な成果

 包括的保存システムは5つのサブシステムから構成される。博物館内での活動(臨床保存活動)に対して適切な支援を行うシステム(臨床支援システム)の中身がサブシステムである。それらの詳細は過去に発表した内容を参照いただきたい。各サブシステム構築の進行状況は以下のとおりである。

2-1 データ管理サブシステムの構築について(H20、H21、H22)
 これまで互いを直接的に関連付けて管理されることのなかった、文化財の属性情報、文化財の保存環境情報、文化財の保存状態情報を結びつけるため「文化財収蔵場所環境情報システム」を開発した(H20-22)。これによって過去10年間に蓄えられた多様なフォーマットの情報を一元管理するための心臓部分が構築されたことになる。博物館内で今後生成される新たな情報は本システムによる管理が可能となった。

2-2 センサーサブシステムの構築について(H20、H22)
 まず、文化財の保存環境を維持するために行われた作業の内容を、時間、位置情報とともに管理するための「位置情報・作業内容管理システム」を開発した(H20)。次に、環境情報を把握するセンサーを高密度・高精度化するために「センサーネットワークによる展示環境モニタリングシステム」を開発した(H22)。後者システムで設置したセンサーは前者システムで管理され、このサブシステムで整理されたデータは以下に述べる分析サブシステム等を経由して、データ管理サブシステムへフィードバックされることで、文化財の劣化原因となる環境因子の効果的な抑制を実現する。

2-3 分析サブシステムの構築について(H20、H21、H22)
 文化財の劣化症状を分類するために症例カタログを作成し、センサーサブシステムによって記録されたデータと劣化症状との因果関係を正確に把握するための基本情報を整理した(H20-22)。その上で、博物館内各地点における環境レベルを自動的に診断、評価する機能を文化財収蔵場所環境情報システムに加えた(H20-22)。導き出された評価はデータ管理サブシステムによって管理される。

図2 様々な劣化症状

2-4 意思決定サブシステムの構築について(H22)
 文化財に関連するこれらの情報が上記3つのサブシステムの整理、選別を経由することで、文化財に生じる劣化・損傷の形態、劣化・損傷が発生するのに要する時間、劣化・損傷を引き起こす環境の限界条件(CTQ:Critical to Quality)が導き出される。その結果、文化財の劣化をある程度予測することが可能となり、事前にリスクを回避するための措置を講じることができる。その判断を適切なものへ導くための意思決定サブシステムの根幹となる上記CTQの指針は、空気汚染物質濃度、温湿度環境のクラス分類など、H22年度までに作成し、その後サブシステムの試行を実施している。

図3 CTQを導き出す流れ

2-5 最適化管理サブシステムの構築について(H23、H24)
 今年度より開発に着手する予定である。具体的には意志決定サブシステムを本格稼働させ、環境改善策を実行しながら(H23-24)、改善策の実施状況を管理、評価する最適化管理サブシステムを構築する。

3. 今後の課題

3-1 既存データベースとの連携
 東京国立博物館内では、個別の文化財に関する属性情報及び展示や貸与の履歴などはデータベース「プロトDB」で一括管理している。包括的保存の実践には本研究で完成したシステムをプロトDBと連携し、博物館の日常業務における基本的ツールとして組み込む必要があり、当初から連携を計画の上、システム設計を行った。現在、両システムの開発担当者と細部を調整中であり、本研究完了後の本格的運用を目指している。

図4 protoDBとの連携イメージ

3-2 電子情報の更新
 電子化された情報は統計や検索処理に最適であるが、生成時にアナログ形式であった情報を電子化した後、再びアナログ形式の情報が追加された場合の更新機能について、本システムでは業務実態(業務速度など)に則していない部分がある。情報端末など通信機器の発達に伴い、解決される問題が多いと考えるが、そうした将来的な状況に対応できる改修も視野に入れねばならない。

図5 カルテに手書きして、情報が追加されることが多い。

参考文献

(1) 神庭信幸、塚田全彦、和田浩、今北憲、浅地真人、高木雅広:文化財輸送の安全性向上システムの開発、文化財保存修復学会第28回大会、2006年6月3日、世田谷区民会館
(2) 神庭信幸、和田浩、土屋裕子、荒木臣紀、大場詩野子、大河原典子:博物館における包括的保存システムの構築に関する研究、文化財保存修復学会第31回大会、2009年6月14日、倉敷市芸文館
(3) 神庭信幸、和田浩、土屋裕子、荒木臣紀、大場詩野子、大河原典子:博物館における包括的保存システムの構築に関する研究(Ⅱ)、文化財保存修復学会第32回大会、2010年6月13日 長良川国際会議場
(4) 神庭信幸、和田浩、荒木臣紀、西村雅未、中村恵子:収蔵庫内の空気汚染物質の濃度に対する濃度指針の検討、文化財保存修復学会第32回大会、2010年6月12日、長良川国際会議場
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