解題
題箋に「寛永丙子信使記録」と記す14巻8冊の和装本。徳川宗敬氏からの寄贈本。
対馬藩主の宗義成を法名「光雲院」で呼んでいることから、彼の死後(明暦3年10月26日(1657))にまとめられたと思われる。
巻一の冒頭に「朝鮮信使来聘起本」という序文を掲げ、わが国における朝鮮との交流の歴史を述べている。また、全体の内容は「朝鮮通信使の記録」というよりも、寛永8年(1631)2月から同14年2月までの「対馬藩の朝鮮国関係記録」と言った方がふさわしい。
寛永13年度の朝鮮通信使に関する詳細な記録がなされているのはもちろん、対馬藩家老の柳川調興が国書改竄等を幕府に訴え関係者が処罰された事件(柳川一件)や、柳川一件の際に対馬で行われた幕府の調査の内容、徳川家光の所望により朝鮮国から来日した馬上才(曲馬)の上覧についても事細かに記述されている。
なお、七巻に「寛永十二年」と書かれているが「寛永十一年」の誤記である。