論文等

日本人による青磁の鑑賞と研究について

著者: 今井 敦(文化庁美術学芸課)

出版者: 日本陶磁協会

掲載誌,書籍: 陶説 第735号

2014年 6月 1日 公開

関連研究員(当館): 今井 敦 

データ更新日2020-10-05

 平成十二年(二〇〇〇)に東京国立博物館で開催された「文化財保護法五〇周年記念 日本国宝展」において、国宝に指定されている青磁花生三点、すなわち青磁鳳凰耳花生 銘万声(和泉市久保惣記念美術館蔵)、飛青磁花生(大阪市立東洋陶磁美術館蔵)、そして青磁下蕪花生(アルカンシェール美術財団蔵)を一つのケースに並べたことがあった。いずれ劣らぬ名品であることはあらためて言うまでもないが、同じ条件のもとで展示することにより、それぞれの個性と違いがいっそう際だった。
 青磁鳳凰耳花生 銘万声は、豊かな張りをもつ胴から伸びやかに頸が立ち上がる均整のとれた姿と、青く澄んだ釉色の美しさによって、わが国に伝わる南宋時代の龍泉窯の砧青磁花生の第一に挙げられる。国宝指定の三点の青磁花生の中では最も寸法が大きいのであるが、その姿からは風格というよりもおっとりとした優美さが感じられた。むらなくなめらかに溶け掛かった青磁釉にも、光の加減により微妙な変化が感じられた。一方、飛青磁花生はまさに爛熟の趣である。器形は頸が細く、胴が異様に張っている。やや翳りを帯びた緑の釉色は、黒の中にほのかに褐色が浮かぶ不定形の鉄斑文が散らされることにより、いっそう魅力を増している。赤く焦げた畳付が全体を引き締めている。これ以上少しでも作為が加わり調和が破られれば、すべてが無に帰する危うい緊張の上に成り立っている。器形と釉薬の美しさを極限まで追求した青磁の最終的な到達点といえるだろう。
 これに対して青磁下蕪花生は、高さは三点の中で一番小さいものの、その存在感は他を圧している。どっしりとした豊かな胴の張りがとくに印象的であり、頸は太く伸びやかで、高台は大きく安定感がある。この作品はかつて南宋時代の修内司官窯の代表作と言われていた。文献は南宋時代に二つの官窯があったことを伝えており、まず「修内司」に置かれた「内窯」で青磁が焼かれ、のちに「郊壇下」に「新窯」が開かれたとされている。このうち郊壇下官窯の窯址は杭州南郊の烏亀山山麓に発見されており、現地の南宋官窯博物館で保存、公開されている。一方の修内司官窯の実像を解明するために、杭州領事であった米内山庸夫氏は杭州一帯を丹念に踏査し、昭和五年(一九三〇)に鳳凰山の麓に窯址と思われる遺跡を発見した。ここから採集された陶片の中に淡い青色の釉薬が施された上質の青磁片があったことから、青磁下蕪花生をはじめとする数点の青磁が修内司官窯の作例とされたのである。たしかにこの種の青磁は胎土、釉薬、造形のいずれをとっても、龍泉窯で焼かれたいわゆる砧青磁とは異なる点があり、そればかりでなく官窯の名にふさわしい気品と威厳を具えている。
 平成八年(一九九六)に杭州鳳凰山北麓の老虎洞に窯址が発見され、「修内司」の文字が入った轆轤の部品の破片が見つかったことから、これを文献にいう修内司官窯に比定する見方が強まっている。一方、青磁下蕪花生の産地を龍泉窯であると断定するだけの材料も見いだされていない。したがって、この種の青磁の産地はいまだ謎に包まれているといわなければならない。
 このように日本人は伝世の青磁の優品の性格の違いを味わい分けてきた。それは、乾隆帝のコレクションに代表される、官窯青磁を頂点に置く中国人の価値観とはやや異なっているように思われる。酸化焔により黄色く焼き上がった米色青磁を官窯青磁の一翼として賞翫するのも日本人独特の見方であるし、茶の世界では珠光青磁の侘びた趣が高く評価されてきた。近代に入ると、いわゆる鑑賞陶器の一ジャンルとして耀州窯の青磁が認められるようになった。
 小山冨士夫氏が昭和十八年(一九四三)に発表した『支那青磁史稿』は中国の青磁の研究の上で画期的な名著であるが、歴史を語りうる素材として青磁を捉えた点に氏の最大の独創性がある。青磁の歴史をストーリーとして描くことは、日本人独自の視点といえるのではないだろうか。『支那青磁史稿』の表題からもうかがわれる通り、氏はさらに大きな著作を構想されてたのであろうが、残念ながらそれは果たされることはなかった。氏の没後、新安海底遺物の引上げ(一九七六~一九八四)、日本各地の遺跡における貿易陶磁研究の進展、清凉寺汝窯址の発見(一九八六)、法門寺塔地宮における秘色青磁の発掘(一九八七)、さきに触れた老虎洞窯址の発見、四川省遂寧金魚村窖蔵の発見(一九九一)、張公巷窯址の発見(二〇〇〇)、龍泉窯の大窯楓洞岩窯址の発掘(二〇〇六)など、中国の青磁の歴史を組み立てる上で重要な発見が相次いでいる。これらの新たな材料を肉付けし、より豊かな内容ストーリーを語ることが、我々に課せられた使命であろう。