論文等

南宋の青磁について

著者: 今井 敦(東京国立博物館)

出版者: 根津美術館

掲載誌,書籍: 根津美術館紀要 此君 第3号

2011年 11月 15日 公開

関連研究員(当館): 今井 敦 

データ更新日2020-10-05

 南宋時代までの中国陶磁史は、青磁を軸に展開した。すなわち、青磁は歴史を語り、構築しうる素材といえる。また、宮中の御用品を焼くために置かれた窯はいずれも青磁を焼いており、青磁は価値観の上でも頂点に位置していた。南宋は青磁が主役であった最後の時代であり、南宋の青磁は中国の青磁の最終的な到達点ということができる。



一、南宋官窯の青磁
 文献は北宋時代の官窯の存在を伝えている。ただし、北宋官窯の実像を実証的に解明するためには、あまりにも資料が不足しているといわなければならない。1126年に女真族の金に追われて南渡した南宋の宮廷もまた、北宋と同じく官窯を置き、青磁を焼いたことが文献に記されている。まず「修内司」に「内窯」と呼ばれる窯が置かれ、のちに「郊壇下」に「新窯」が置かれて、これら二つの窯で官窯器が焼造されたとされている。
 このうち郊壇下官窯の窯址は昭和5年(1930)に杭州市南郊の烏亀山山麓に発見されている。もと杭州領事の米内山庸夫氏が窯址で採集した陶片を基準として、黒胎に澄んだ青色の青磁釉が厚く施され、複雑な貫入が生じた青磁が郊壇下官窯の作例と認められた。もう一方の修内司官窯の実像を解明するために、米内山庸夫氏は杭州一帯を丹念に踏査し、鳳凰山の麓に遺跡を発見した。この出土陶片に基づいて、日本ではかつて国宝の青磁下蕪形瓶が修内司官窯の代表作と考えられるようになったが、この見方は国外で広い支持を得るには至らなかった。その後1996年に鳳凰山北麓の老虎洞に窯址が発見され、これを修内司官窯に当てる説が有力になっている。ただし、杭州万松嶺のタバコ工場の遺跡から出土する青磁片は、南宋官窯青磁に酷似しているにもかかわらず、科学的な分析の結果老虎洞窯、郊壇下窯のいずれとも異なるという結果が出ており、現段階では老虎洞窯と郊壇下窯の二窯だけから南宋官窯の展開を論じるのは尚早であるように思われる。
 故宮伝世の南宋官窯器の多くは、乾隆年間に収集されたものであり、乾隆朝の宋官窯観が色濃く反映されたコレクションであることが考察の対象とされるようになってきている。また、窯址出土の陶片に対しても自然科学的な新たなアプローチがなされるようになっている。南宋官窯研究は、いま一つの転換期にさしかかっている。



二、龍泉窯の青磁
 龍泉窯で焼かれたいわゆる砧青磁は、中国歴代の青磁最高峰として、官窯青磁と並んで高く評価されている。萬聲の銘をもつ青磁鳳凰耳瓶、馬蝗絆と名付けられた茶碗をはじめ数多くの優品が日本に将来されており、日本は優れた砧青磁の宝庫となっている。砧青磁とは、おもに釉色に基づく龍泉窯青磁の分類の一つで、かつては砧青磁=南宋時代、天龍寺青磁=元時代、七官青磁=明時代という時系列の展開ととらえられていたが、新安海底遺物の発見や、貿易陶磁研究の進展により、砧青磁の製作の中心を元時代まで下げる考え方が示されるようになった。一方、考古学的な出土資料や文献によって、龍泉窯では13世紀初頭にはすでに粉青色の釉が暑く掛けられた青磁が完成されていたことが明らかになっている。すなわち南宋から元にかけての砧青磁の作風の変遷を考える必要がある。今後、砧青磁と一括りにされている一群の中の細かい差異により注意を払い、分類してゆく作業が必要になると思われる。



三、南宋官窯と龍泉窯ーかつて日本で修内司官窯とされた青磁について
 国宝に指定されている青磁下蕪形瓶は、日本ではかつて修内司官窯の代表作と考えられていた。この瓶の生産窯について、筆者は何人かの中国人研究者に意見を求めたことがあるが、龍泉窯と断定する意見は今のところ聞いていない。むしろ、釉薬の特徴などに、官窯の技術との関連を指摘する意見も示されている。「宋代官窯及官窯制度国際学術研討会」と同時に故宮博物院で開催された展覧会「百?冰紋裂・色佳称粉青―宋代官窯瓷器展」には、南宋御街遺址の出土品が官窯青磁として展示されていた。これはかつて日本において修内司官窯に分類されていた青磁と作行きが非常に近いものである。かつて日本で修内司官窯とされた一群の位置づけは、単なる生産窯の問題にとどまらず、南宋官窯と龍泉窯双方の歴史、および南宋官窯と龍泉窯との影響関係の問題とともに解明する必要がある。



 官窯青磁の理想像として追求されたのは、端整な器形、澄んだ青色、そして複雑で神秘的な貫入であった。すなわち、鉄分が多く耐火度の低い胎土を用い、薄く成形して、そこに厚く施釉し、還元焼成するという困難に挑まなければならない。人間の力では実現困難ともいえるそのような理想の青磁像を、作り手と使い手とが共有し、何世代にもわたって改良を続けてゆくような事例は、南宋時代の中国にしかみることができない。南宋の青磁は中国の歴史・文化を象徴する工芸品ということができる。