口頭発表

中国陶磁の意匠―意味に根差した造形・造形に根差した意味―

学会,機関: 東洋陶磁学会第26回大会

発表者: 今井 敦(東京国立博物館)

1998年 11月 14日 発表

関連研究員(当館): 今井 敦 

データ更新日2021-12-10

陶磁器をはじめとして、工芸品は本来ある用途・目的をもった実用品として製作され、使用されていた。器が使用される場や製作の意図に相応しい文様が選択され、これらが繰り返し用いられながらしだいに定型化し、好ましい意味をあらわす吉祥文様として定着していったと考えられる。ただし、中国の工芸品の意匠に込められた意味内容は、現代の日本人には理解しにくいものも多い。
野崎誠近氏が昭和3年(1928)に著した『吉祥図案解題』は、中国の吉祥図案を集成し、これに詳細な解説を加えた労作である。氏は当時中国の民間で用いられていた吉祥図案から取材しているが、そこには宮廷向けの工芸品や、過去の歴代の工芸品にあらわされた文様を含め、中国の意匠に託された意味内容を読み解く鍵となる事例が数多く収録されている。たとえば、清時代の官窯では音通による「語呂合わせ」を駆使した寓意文様が発達しており、一見したところ静物画や風景画のように見えても、その背後には長寿や子孫繁栄を祝する意味内容が隠された一種の「判じ絵」である場合が多い。一例を挙げれば、藍釉粉彩桃樹文瓶(表紙)に描かれている桃は、西王母の蟠桃が三千年に一度実を結び、これを食せば寿命が延びるという伝説によって長命を寓意し、「寿」をあらわしている。五匹の蝙蝠(コウモリ)は、蝠の発音が福に通じることから、五経の一つである『書経』にある五つの理想的な幸福を象徴している。桃の幹から伸びた霊芝は、仁徳をそなえた王が現れると生じ、長寿の薬効があるとされる瑞草であるが、ここでは形の類似から僧侶がもつ道具の一つである如意をあらわしている。全体で「福寿如意」、すなわち幸福も長寿も思うままになるという意味になる。われわれ日本人は清朝の官窯磁器を親しみにくさを感じることがしばしばあるが、その理由は美意識の相違ばかりでなく、主題と造形との関係がわかりにくく、意匠家のメッセージを受け止められないことが、作品との距離を大きくしているといえるのではないだろうか。また、別の見方をすれば、題材や構図、時には色彩までもが「意味」によって拘束され、陶工たちにとっては造形の上に創意工夫を発揮する場はわずかしか残されていないということでもある。清時代後期になると、作品に閉塞感や鬱屈した気分が漂い始めるが、その原因の一端は、寓意文様が極端なまでに発達した結果、造形が意味によって雁字搦めにされてしまっていることにあると思われる。
このような吉祥文様は元時代以降、とくに明・清時代に著しい発達を遂げたことがしばしば指摘されている。それではこれに先立つ時代、たとえば宋・金時代の磁州窯にあらわされた意匠は吉祥文様とは性格が異なるものなのであろうか。北宋時代末の大観2年(1108)に洪水のために埋もれた町である鉅鹿の遺跡からは、「新婿」や「長命枕」などの墨書が記された陶枕が発見されている。これにより、結婚に際して陶枕が用意されたり、陶枕に長生の願いが託されたりしていたことがわかる。陶枕をはじめとして、磁州窯の文様に頻繁に用いられるモチーフには、いずれもさまざまな吉祥の寓意を見出すことができる。たとえば牡丹は富貴を、鹿は長寿を、魚は豊かさを象徴している。また、モチーフ自体がもつ象徴的な意味に由来する吉祥文様ばかりでなく、発音の共通性によって吉祥句を表現していると解釈することが可能な例も多い。大和文華館所蔵の白釉鉄絵鯰文枕(図1)は、「年」に発音が通じる鯰が二匹描かれ、全体の形が「如意」をかたどっていることから、文様と器形を合わせて読むことにより、「年年如意」すなわち毎年思いが叶うという寓意を込めた意匠と解釈することができる。磁州窯では北宋時代末から金時代にかけてこのような如意形の枕がさかんに作られた。これらが実用に供されていたことはほぼ間違いないものの、陶枕としてはあまりにも特殊な形式である。「如意」の字義により、意の如く、思うままに、夢を叶える枕の意匠と考えることによって、この種の枕の流行が容易に理解できる。また、磁州窯の文様から寓意を読み取ることの妥当性の裏付けとして、さまざまな願いを込めた文字によって装飾された器物が製作されていることがあげられる。宋・金時代の磁州窯にみられる文様のかなりの部分は、現代にも通じる吉祥図案として解釈が可能であり、しかもかなり発達した寓意文様もかなりみられることを指摘しておきたい。これらのきわめて洗練された吉祥文様が当時の成熟した市民文化の産物であることはあらためていうまでもない。また、宋時代には絵画風の文様表現が発達するが、その成立と発展には、写実的な表現を志向する宋代の絵画との関連が想定されるとともに、実在の身近な動植物に好ましい意味を見出し、これを積極的に文様に取り込もうとする姿勢が大きな要因になっていたと考えられる。
また、元時代に景徳鎮窯で焼造された青花磁器にさかんに描かれている蓮池水禽文や魚藻文などの文様と、その当時江南地方の職人画工がレパートリーとしていた画題との間には共通点が多く、両者に深い関連があることが広く認められている。ただし、これは絵画が磁器の文様に影響を及ぼしたと考えるよりも、晴れの場に飾られるという「実用性」をもった絵画、およびそこで用いられる器に同じように好ましい意味をもった題材が求められ、それゆえ共通のモチーフが選択されたと捉える方が適切であると思われる。蓮池水禽や藻魚の図は、元時代以前より描かれ続けている吉祥図案であり、宋代の陶磁器にも数多くの例を指摘できるのである。さらに、意匠に託された意味内容に着目し、「意味」の保持と様式の変遷を追うことによって、景徳鎮窯の青花磁器における元様式から永楽様式の展開の方向性が明らかになる。元時代の青花磁器にしばしばあらわされる蓮池の図は発展や繁栄、とくに子孫繁栄を寓意していると考えられる。蓮の発音は連と同じであり、中国語で蓮の実を意味する蓮子は連子、すなわち子供が次々生まれることに通じる。また、蓮は花が咲くと同時に実ができる「華実斉生」の性質があることから、早く子供ができることの喩えとされる。蓮とともに描かれる沢瀉に似た三つ又形の葉は、中国では慈姑(くわい)の葉と解されている。慈姑はその球茎を食用にし、「歳に十二子を生む」といわれることから、多子多産の象徴と思われる。永楽様式の青花磁器によく描かれる束蓮文(図2)は、蓮池図を構成する吉祥の草花を、リボンで束ねるという視覚的な表現によって組み合わせ、蓮池図と同等の意味をあらわそうとした吉祥文様と考えられる。すなわち、より全体の調和を重視する様式が追求される過程で、子孫繁栄の寓意をあらわす蓮池文は、皿という円形の画面に収まりのよい束蓮文に置き換えられたのである。永楽様式では、より全体の調和を重視した造形を志向し、視覚的な表現によって吉祥の意味を補強している。この「造形の調和の優位」、および「視覚的表現による意味の伝達」は、明初の官窯において民窯とは一線を画する様式が成立するにあたり、重要な因子として働いていたと考えられる。
文様や器形に込められた意味を知り、意匠に託されたメッセージを読み解くことは、陶磁器が使われた場や、製作の意図を明らかにするために不可欠の作業である。また、様式の展開を考える上でも有効な視点になると思われる。なぜなら、製作にあたる陶工や意匠家たちの最大の関心は、あらわされるべき好ましい意味、それを担うモチーフをどのように造形化するかという点にあったはずだからである。