「鑑賞陶器」の成立とこれから
著者: 今井 敦(東京国立博物館)
出版者: 日本陶磁協会
掲載誌,書籍: 陶説 第702号
2011年 9月 1日 公開
関連研究員(当館): 今井 敦 
データ更新日2021-12-10
古陶磁において、鑑賞陶器と呼ばれるジャンルがある。中国陶磁でいえば、唐三彩、磁州窯、明・清の官窯磁器などがこれにあたる。日本陶磁では、柿右衛門、色鍋島、古九谷などが代表的であり、このほか仁清、乾山をはじめとする京焼も重要な位置を占める。
これら鑑賞陶器の評価と研究をリードしたのが彩壺会という名の研究団体である。彩壺会は、奥田誠一らを中心に、大正三年(一九一四)に発足した陶磁器研究会を母胎として、コレクターらを交え、大正四、五年頃に設立された。茶陶を中心としたそれまでの陶磁器鑑賞に対して、陶磁器を学問的科学的に研究することを意図しており、その成果は彩壺会講演録として残されている。京都仁清窯の発掘を行うなど、陶磁史の実証的な研究に先鞭をつけた。同時代のコレクターの好尚や、陶芸家たちの作陶の方向にも大きな影響を及ぼしている。
唐三彩や磁州窯が注目されたのは、明治三十七年(一九〇四)に始まる?洛鉄道工事や、鉅鹿遺跡の発見によって、それまで知られていなかった出土陶磁器が続々と古美術市場にあらわれるようになったことを反映している。一方、明・清の官窯磁器は、清末の混乱期に流出し、関心がもたれるようになった。
日本の陶磁器では、柿右衛門や色鍋島、古九谷などの色絵磁器の評価が高い。これは、陶磁器における芸術性の拠り所を、絵画的な性格に求めたことによるのではないかと考えられる。このためか、この時代には常滑、備前などの焼き締め陶器などは評価されていない。色絵に比べて染付に冷淡であるのは、この時代にはまだ初期伊万里などに対する認識がなかったからだと思われる。
また、仁清、乾山ら京都の陶工が注目されたのは、陶磁器の芸術性が陶工の個性、作家性に由来すると考えられたためであろう。それゆえ、柿右衛門や古九谷といった色絵磁器においても、酒井田柿右衛門、後藤才次郎といった個人名が強調される傾向がある。
このようにみてくると、鑑賞陶器とは一面では大正時代から昭和初期にかけて新たに視野に入ってきた陶磁器を評価しようとする動きであり、また一面では急速に進む近代化の中で日本あるいは東洋の文化の伝統をつかもうとする動きの一つといえる。したがって、彩壺会の古陶磁鑑賞の姿勢は、器物の伝来や用途にとらわれずに評価しようとする点で共通点があるものの、彩壺会講演録をみると美意識や趣味の点では各人により違いがみられる。この意味で、ジャンルとしての鑑賞陶器は、特定の美意識や方法論に基づく分類というよりも、二十世紀初頭の時代の産物ということができるだろう。
彩壺会は陶磁器の鑑賞と研究における科学性を標榜していたため、アカデミズムとは相性が良いのであるが、科学的実証的な陶磁器の鑑賞と研究は、歴史的存在としての鑑賞陶器とは切り離して考えなければならないのではないかと思われる。なぜなら、通常鑑賞陶器の対極に位置づけられる茶陶に対しても、科学的なアプローチは可能であるからである。たとえば、彩壺会とまさに同時代に高橋義雄(箒庵)によって編まれた大著『大正名器鑑』は、十分とはいえないまでもデータの集積を目指しており、茶陶に対する科学的なアプローチの試みと位置づけられよう。
鑑賞陶器は、近代における茶の湯や民藝などとともに、近代において陶磁器の価値を見いだしてゆこうとする動きの一つであり、これだけを一つの独立したジャンルとして図式的固定的に解釈することはあまり大きな成果を生まないように思う。また、陶磁器の価値観の成立にあたって、青山二郎ら何人かの「眼」が非常に大きな役割を果たしてきたことはまぎれもない事実であるが、鑑賞陶器の精神を今後も生かしてゆくのならば、過去に築かれた価値観を権威として神格化するのではなく、古陶磁に対してこれからも新たな解釈を加え、新たな価値を見いだしてゆこうとする姿勢が重要となろう。