口頭発表

磁州窯系陶器の文様意匠の特質について

学会,機関: 大阪市立美術館/日本経済新聞社大阪本社/東洋陶磁学会 シンポジウム「磁州窯系陶器の発生と展開」

発表者: 今井 敦(東京国立博物館)

2002年 11月 30日 発表

関連研究員(当館): 今井 敦 

データ更新日2021-12-10

磁州窯の文様意匠は、いわゆる宋磁の中でも異彩を放っている。とくに、北宋時代後期のそれは、優美さと力強さ、そして気品を兼ね備えており、きわめて高い完成度を示している。
磁州窯の文様意匠の特質は、その多様性にある。多様性とは、技法の多様性、題材の多様性、そして表現の多様性である。技法の多様性については、近年の研究によってますます詳細な分析がなされており、『観台磁州窯址』では50種以上に上る分類が挙げられている。技法の多様性は、多彩な文様装飾が発達するための基盤であったといえる。
題材に関しては、牡丹、水禽、鹿をはじめとする実在のさまざまな動植物や人物が取り上げられていることが、大きな特色として挙げられる。唐時代の工芸品の文様において、宝相華文、唐草文といった空想上の植物文が主流であったのとは、好対照をなしている。北宋時代前期に位置付けられる「魚々子地線彫り」、あるいは「浮彫り風白掻落し」の文様表現は、力強さをそなえている反面、空間の処理などにぎこちなさがみられるが、北宋時代後期になると、瑞々しい表情を的確にとらえ、生き生きと詩情豊かに描き出す、すぐれた文様表現が確立された。
一方、金時代の磁州窯において、「福禄寿」などの意味が込められたいわゆる吉祥文の流行が始まっていることは、秦大樹氏らによってすでに指摘されている。また、中国の吉祥図案に関する基本文献である『吉祥図案解題』(野崎誠近、天津、1928)を拠り所として、文様の背後に託された寓意を解読すると、個々の吉祥文を組み合わせて複合的な図案とし、あるいは発音の共通性を利用して吉祥句を表現するような、複雑で発達した吉祥図案をも認めることが可能である。
そして、北宋時代に磁州窯で焼かれた陶器にみられる文様意匠の多くも、やはり吉祥図案として解釈できる。たとえば、磁州窯では12世紀初頭ころの一時期に、角張った台の上に頭を受ける大きな如意頭形の板を取り付けた、独得の形の陶枕が流行した。これらが実用に供されていたことは、鉅鹿の出土品からみて間違いないものの、陶枕としてはきわめて特殊な形式といわなければならない。この器形を「如意」と読み、願いを叶える枕と解釈することにより、この種の枕の流行が容易に理解されるのである。北宋時代の磁州窯の文様意匠から吉祥の寓意を読み取ることの妥当性は、文字によって吉祥句を表現した作品や、墨書で現世的な願望が記された一群の存在によって裏付けられよう。
北宋時代の磁州窯の文様意匠は、基本的に吉祥図案としての性格をそなえていると思われる。吉祥の意味内容と造形の完成度とが、きわめて高い次元で両立しているのである。そして、北宋時代の磁州窯における文様意匠の展開は、身近な風物に積極的に好ましい意味づけを見出し、これを器物の装飾に取り込んでゆく過程と考えられる。さらに、牡丹をはじめとする花や鳥などの美しさに対する関心の高まりにより、写実的で風韻に富んだ文様表現へと結実していったのであろう。
このような北宋期磁州窯の文様意匠の性格は、成熟した市民文化によって形作られたものと考えられる。北宋時代末における都市の繁栄は、孟元老の『東京夢華録』に活写されている通りであり、教養と美意識の高い需要層の求めに応じて、洗練された文様意匠が発達したのである。これに対して、金、元時代の磁州窯の文様意匠は、形式化が大きく進行している。そこに民窯としての性格の強まりを見て取ることも可能であるが、北宋時代のそれと比較すると、類型的、そして通俗的である。生産量が増大し、技法がいっそう多様化している反面、表現上の多様性は大きく後退しているといわなければならない。