口頭発表

明代後期の官窯器にみられる漆器の影響について

学会,機関: 東洋陶磁学会平成16年度第6回研究会

発表者: 今井 敦(東京国立博物館)

2005年 2月 12日 発表

関連研究員(当館): 今井 敦 

データ更新日2021-12-10

嘉靖年間(1522~66年)は、明代陶磁史の転換点とされている。嘉靖官窯の年款銘には、二重円圏内に記す例、二重方郭内に記す例、あるいは枠がなく文字だけの例などがある。五彩磁器に限ってみると、魚藻文の壺をはじめとする青花五彩、あるいは黄地紅彩など、嘉靖官窯の代表作とされる作例の多くは枠のない青花六字銘である。これに対して、枠のある「大明嘉靖年製」銘が記された嘉靖官窯の五彩磁器は、青花が主体で黄地紅彩が加えられている例、釉上彩のみで青花をともなわない一群、黄地青花紅彩あるいは緑地紅彩などの瓢形瓶、柿地緑彩や翡翠釉の例などがある。これらは、嘉靖官窯としては例外的な技法のものが多く試行錯誤の様相が見て取れる点、黄地青花や単色の釉上彩のように明代前期・中期に通じる要素がみられる点、青花を用いず釉上彩のみの絵付けの場合であっても青みを帯びた透明釉が施されているように技術的に未成熟な点などから、年代的に先行するのではないかと考えられる。緑地紅彩は、景徳鎮珠山出土の成化の雑彩に近く、黒の線描が加えられていない点で、嘉靖官窯の一般的な雑彩とは異なっている。嘉靖年間の官窯の作風が変化した要因として、官搭民焼制、すなわち民窯への委託焼造が本格化したことが指摘されてきたが、民窯の作風が取り入れられたことにより官窯の様式が転換したとする説明は、具体性を欠くきらいがある。
明代後期の官窯でさかんに作られた方形合子のなかに、木胎の合子の構造を写した例がある。嘉靖官窯、とくに雑彩には変形の器種が多く、俗に枡鉢と呼ばれる角鉢や角皿などは、漆器の器形を模倣したと考えられる。雑彩と彫彩漆、いわゆる紅花緑葉との影響関係はこれまでにも指摘されているが、彫彩漆以上に色彩や文様表現の上で雑彩との類似性が認められるのが存星である。古赤絵や明代前期・中期の雑彩に対して、黒の線描を加えることが嘉靖官窯の雑彩の新機軸であり、存星に触発された表現とみることができるのではないか。
嘉靖官窯では、量産の要請、民窯の発展、磁器の普及を背景に、新たな様式が模索され、作風が多様化した。その過程で、漆器の意匠の導入が大きな役割を果たし、各種の変形の器が生み出され、紅地黄彩、紅地緑彩の技法がさかんになった。窓絵、地文つぶし、繁縟な文様構成といった、明代後期の磁器に特徴的な表現もまた、漆器の意匠に由来している可能性が考えられる。