口頭発表

日本陶磁の特質ー中国陶磁と比較して
The Unique Qualities of Ceramics in Japan : A Comparison with China

学会,機関: 国際シンポジウム 世界の中の日本美術ーオリエンタリズム・オクシデンタリズムを超えた日本理解   The Arts of Japan in a Global COntext : Beyond Orientalism and Occidentalism

発表者: 今井 敦(東京国立博物館)

関連web: https://japan-art.org

2019年 1月 18日 発表

関連研究員(当館): 今井 敦 

データ更新日2020-10-05

 日本における陶磁器製作は、窯、轆轤、釉薬など、基本的な技術のほぼ全てを中国から朝鮮経由で導入している。また、平安時代以降中国陶磁はさかんに輸入され、日本文化の中で珍重されてきたことから、日本陶磁は意匠の面でも中国陶磁から大きな影響を受けている。しかしながら、日本陶磁は中国陶磁の単なるコピーではない。
 中国では宋時代以降文人士大夫が社会の支配階層であり、その頂点に皇帝が君臨した。社会の階層と文化の階層はほぼ一致しており、文人の教養としての詩、書、画と職人が作る工芸品との間には厳然とした区別があった。陶磁器においては、宮廷の御用品を作る官窯を最高位に置く価値観があった。理想とされる美は共有され、技術は一つの方向に進み、厳格に規格が守られ、そこに陶工の個性が入る余地は殆ど無かった。その様相は、商時代の原始青磁から南宋時代の官窯青磁に至る過程、あるいは明・清時代の官窯における絵付け技法の高度化・複雑化の展開によく現れている。
 これに対し、日本では、鎌倉時代以降武家、公家と文化が多元的であり、都市の裕福な商工業者も文化エリートとしての役割を担った。文化の階層性は明確でなく、美術と工芸との境もあいまいであった。
楽茶碗は、茶人千利休の創意を受け、陶工長次郎によって創始された。轆轤を用いず、手捏ねで成形され、内窯と呼ばれる小型の窯で焼成される。技術的な淵源は中国南部の福建地方で行われていた三彩に求められるが、そこから一切の加飾や作為をそぎ落として生み出されたのが長次郎の楽茶碗である。一方、樂家三代の道入は、楽茶碗に明るく軽やかで、斬新な装飾性を取り込むという大胆な変革を行う。すなわち、楽茶碗においては、作為と無作為、非装飾と装飾、そして伝統と前衛とはけっして二項対立の関係ではない。
 尾形乾山は京都の裕福な呉服商の三男として生まれ、画家の光琳は次兄にあたる。光琳が絵付けをした兄弟合作の角皿は、乾山焼を代表する作品である。この一群は、実用性よりも鑑賞本位に、器に絵付けを施すというよりも絵画をやきものにする形で、乾山が新たに創出したものである。琳派が絵画に平面的な描写や装飾性を取り入れ、琳派の絵画は工芸的であると言うことができる一方、工芸の側から見れば、乾山の陶芸は絵画的であるという言い方ができる。すなわち、西洋や中国の分類における美術と工芸との境界領域に乾山の芸術は花開いたのである。
 本阿弥光悦は茶碗造りを個性の表現にまで昇華させた。光悦の茶碗は、あくまで数寄者の手遊びであるがゆえに、常道にとらわれることなく、自由自在であった。それでは作陶における光悦と樂歴代とは、アマチュア対プロ、あるいは芸術家対職人という上下関係なのであろうか。御茶碗師である樂家歴代が守ったのは茶碗としての規範なのであり、けっして定まった形ではない。これに対し、刀の鑑定を家業とし、能書家でもある光悦の茶碗には、形に対する厳しいこだわりと追究がみられる。したがって、光悦の茶碗はアマチュアであるがゆえに、自由であるから尊いといった安易な図式では光悦の芸術の理解には至らない。
 中国陶磁と日本陶磁との違いは、けっして優劣で論じられる問題ではない。明確な階層性をもつ中国の文化をピラミッドに喩えるならば、日本文化のそれは、あたかもメビウスの輪が、裏と表、あるいは両端が、辿ってゆくと実は繋がっているような構造ではないだろうか。これは、圧倒的な力と普遍性をそなえた文化をもつ巨大な中国の隣に位置し、しかもそこから多くを学びながら、その亜流に甘んじることなく、自分を失わないために身につけた知恵であろうと思う。
 そして、日本人の中国陶磁の見方と中国人のそれとは異なる。日本人は官窯だけでなく民窯を併せて時代性を捉えようと考える。客観的な唯一絶対の文化の表象というのは果たして可能なのか、一つの答えを求めることに果たして意味はあるのか。日本美術についても、日本人が思い描く見方が唯一絶対の正解とは限らないのではないだろうか。