論文等

明代前期の青花磁器の二つの流れーいわゆる雲堂手を手がかりに
明早期青花瓷的两种流派ー以云堂手流派为例
Two Traditions of Blue-and-White Porcelain in the Early Ming Dynasty : WIth a Focus on the So-Called Undo-de Style

著者: 今井 敦(東京国立博物館)

出版者: 上海博物馆

掲載誌,書籍: 灼爍重现 十五世紀中期景徳鎮瓷器国际学术研讨会论文稿

2019年 6月 27日 公開

関連研究員(当館): 今井 敦 

データ更新日2022-05-06

 青花磁器の技法と様式は、元時代後期に江西省の景徳鎮窯で完成された。この元末至正様式から、明初の洪武様式を経て、永楽様式へと至る展開は、一連のものであることが米国フリア・ギャラリーのジョン・アレクサンダー・ポープ氏によって唱えられ、景徳鎮珠山における発掘の成果も概ねこれを追認している。すなわち、構図が整理され、描線はたおやかになり、精美な様式へと変化してゆく。宣徳官窯の青花の文様構成は、余白を残し、控え目な筆遣いで描かれる。蘇麻離青とよばれる良質のコバルト顔料を用いた青花は、白磁の素地の美しさを引き立てるはたらきをしている。明時代前期の官窯の青花は、動勢に富んだ筆線の表現力から、素地の美を強調する方向へと転換しているのである。
 成化年間の官窯の青花磁器は、あらゆる点で洗練を極めている。淡い発色の青花は、完整で優美な器形や、わずかに黄みを帯びた素地との調和を重視したためと考えられ、優美で調和のとれた様式への展開の一つの到達点と位置づけられる。
 この過程で、文様における三次元的な空間表現は等閑視されるようになり、精妙な白磁の素地と藍色との諧調に関心が移ってゆく。正統、景泰、天順三代のいわゆる「空白期」の青花はその様相が明らかでないが、永楽、宣徳から成化へと至る官窯の作風が一連のものであると仮定すると、宣徳官窯と成化官窯との中間的な特徴をそなえた作風であると推測される。東京国立博物館所蔵の青花八吉祥文壺は、空白期の官窯の青花磁器の可能性が考えられる希少な作例である。
 さて、上に述べてきた流れとは別に、元時代の青花磁器の要素を受け継ぎながら、明代前期に位置づけられる青花磁器の一群が確実に存在する。器種は主に壺や梅瓶などであり、元時代の青花磁器と同様に界線で区切り、中央に主文様を表し、その上下の文様帯に唐草文、折枝文、波濤文、蕉葉文、蓮弁文などを配する。主文様に人物図を描くものが多く、楼閣と渦状の雲気文が特徴的であることから、日本では雲堂手と呼ばれ、茶人たちが珍重したため、早くから注意が払われてきた。
 これらは年款銘が入れられておらず、15世紀中葉の墓からしばしばその類品が出土していることから、空白期に編年されることが多い。しかし、唐草文や折枝文、蓮弁文などの形式化の度合いに着目すると、宣徳期の青花に近いものから日本で古赤絵と呼ばれる民窯の五彩磁器に通じるものまで変化があり、製作時期にある程度の幅をもたせて考えるべきではないかと思われる。
 独特の雲気文は、三次元的な空間表現への意欲と、その表現上の破綻を示している。雲堂手は空間表現を志向している点で、先に述べた明代前期の官窯の青花の流れとは明らかに相違点が認められる。雲堂手の中には、胎土や釉薬の品質、仕上げの丁寧さなどからみて、品質が劣る一群がある一方、官窯の在銘品と比べても遜色のない上質の製品もある。
元時代の青花磁器の生産の背景には、何らかの形で宮廷の関与があったことが窺われる。また、景徳鎮珠山の出土品の中に、西アジアに運ばれた永楽期の青花磁器の類品が確認されていることから、この時期の貿易陶磁は官窯と同一の体制下で焼造されたと考えるべきであろう。すなわち、元時代から永楽期にかけては、青花磁器の様式の上で官窯、民窯の区別は無く、景徳鎮の窯業がしだいに盛んになり、生産量が増大して国内の富裕層にまで製品が普及してゆく過程で、官窯と民窯との様式が分岐していったのではないだろうか。官窯は上質の白磁胎と藍色の文様との調和を追究した様式へと展開していったのに対し、胎土や釉薬、コバルト顔料の品質の点で及ばない民窯では、生き生きとした筆線による文様装飾に主眼を置いた青花の生産が続けられたのであろう。
 雲堂手の生産は、宣徳年間後期には始まり、空白期を経て、成化年間に及ぶのではないかと思われる。今後は唐草文、折枝文、波濤文、蕉葉文、蓮弁文などの表現を中心に分類整理し、その様式展開の流れを把握することが必要となろう。