論文等

《研究ノート》宝暦・明和・安永期の京都のやきものについて―樂を中心に―
Ceramics from Kyoto during the Horeki, Meiwa, and An'ei eras(1751-1781):Focus on Raku Ware

著者: 今井 敦(東京国立博物館)

出版者: 東京国立博物館

掲載誌,書籍: MUSEUM 第687号

2020年 9月 1日 公開

関連研究員(当館): 今井 敦 

データ更新日2020-09-08

 京焼の歴史は、野々村仁清、尾形乾山、奥田頴川、青木木米、仁阿弥道八、永樂保全ら名工の事績を軸に語られる。すると、尾形乾山が江戸に下向した1731年頃から、奥田頴川が磁器の焼成に成功した1780年代までのおよそ半世紀は、名工不在の空白期ということになる。一方、考古学的な発掘調査の成果や、文献の記載により、この時期の京焼は、量的な拡大を遂げていたことが明らかにされている。
 この時期はけっして文化や美術の低迷期ではない。絵画の分野では、円山応挙、伊藤若冲、池大雅、与謝蕪村、小田野直武ら、個性的な画家が輩出している。また、茶道史上、家元制度が確立し、茶道が町人層へ広がりをみせた。
 樂家では七代長入、八代得入、そして九代了入が天明の大火で焼け出される前の時期に相当する。長入の茶碗の特徴は形式化であるといわれ、茶道界において家元制度が整備されたことと関わっていると考えられている。しかし、長入の長次郎写しの茶碗をみると、江戸時代中期を生きた長入の長次郎理解の有様が窺われ、市民層が勃興した18世紀における「個の目覚め」「自己の萌芽」の兆しを見て取ることは可能ではないかと思われる。
 また、「京焼」の概念は近代に入って殖産興業の観点から成立したものであり、この立場からは樂は京焼から除外されている。文化史として京都のやきものの総体を考察する場合、樂だけをことさらに排除する必要はないのではないだろうか。